~相続人を守るための実務知識~
相続財産の調査が終わる前に債権者が現れ、返済を迫られることは珍しくありません。こうした場面で相続人が安易に支払いや債務承認をしてしまうと、民法第921条の「単純承認」に該当し、相続放棄や限定承認といった法的選択肢が消えてしまいます。この状態では被相続人の全財産をプラス・マイナス問わずそのまま引き継ぐこととなり、多額の借金を負担するリスクが生じます。相続人としては慎重に対応することが不可欠です。
一方で、債権者には被相続人の債務の返済を請求する「権利」が民法上認められています。相続が開始すると、債権者は共同相続人に対して各自の法定相続分に応じて返済を請求することができます(民法902条の2)。この規定は遺言で相続分が指定されていても債権者の権利行使に影響を与えず、常に法定相続分を基準に請求できる点が特徴です。つまり、債権者は相続人全員に対して公平に請求できる一方、相続人は放棄・限定承認・遺産分割協議によって最終的な債務負担を調整することになります。

相続人が取るべき対応

  1. 請求の保留を伝える 債権者から督促を受けた場合は、「相続財産を調査中であり、相続放棄や限定承認を検討している」と説明し、返済を保留してもらうことが重要です。
  2. 返済・承認行為を避ける 借金の一部返済や、負債の承継を認める文書への署名は法定単純承認(民法921条)に当たります。一度承認とみなされれば相続放棄はできなくなります。
  3. 熟慮期間内に法的手続きを判断する 相続放棄や限定承認は「自己のために相続の開始があったことを知ったときから3か月以内」に家庭裁判所へ申立てが必要です(民法938条)。調査に時間がかかる場合は、家庭裁判所に熟慮期間の伸長を申し立てることも可能です。
  4. 専門家に相談する 強い請求や差押えの恐れがある場合は、弁護士に相談して代理対応を依頼することが望ましいです。行政書士は戸籍収集や財産調査を担い、司法書士は不動産登記、税理士は相続税申告、弁護士は紛争解決といった各専門分野で役割を果たします。相続人はこれらの士業と連携して対応するのが現実的です。

債権者の権利と根拠法令
• 民法896条 相続人は被相続人の権利義務を包括承継する。
• 民法902条の2 債権者は共同相続人に対し、法定相続分に応じて債務履行を請求できる。遺言による相続分の指定があっても、債権者の権利は法定相続分を基準とする。
• 民法921条 相続人が相続財産を処分した場合は単純承認とみなされる。返済や承認行為をした時点で相続放棄は不可となる。
• 民法938条 相続放棄や限定承認は相続開始を知ったときから3か月以内に家庭裁判所へ申立てが必要。
• 民法1004条 債権者は相続財産管理人の選任を家庭裁判所に申し立てることができ、これにより相続財産の保存・換価・弁済が公正に行われる。

実務上のポイント
• 相続人は「熟慮期間中である」と明言して返済を控える
• 債権者は法定相続分に基づき相続人全員に請求可能である点を理解する
• 相続放棄や限定承認の受理証明書を債権者に提示すれば、その後の請求を止められる
• 相続財産が多額の債務超過と判明した場合、相続財産管理人の選任手続によって清算手続きへ移行できる
• 行政書士・司法書士・税理士・弁護士と連携し、調査・登記・税務・紛争解決まで一体的に進めることで、安全かつ確実に相続を完了させられる

まとめ
財産調査前に債権者から返済を迫られても、相続人は安易に支払うべきではありません。返済や承認行為は単純承認とみなされ、放棄や限定承認の選択肢を失ってしまいます。その一方で、債権者には法定相続分を基準に相続人へ債務履行を求める権利が認められています。
相続人は債権者の正当な権利を尊重しつつも、自身の法的立場を守るために熟慮期間内に適切な判断を下すことが大切です。行政書士による調査と他士業との連携を通じ、法的手続きを正しく進めれば、不要な債務負担を避けて円滑に相続を終えることができます。